スマホ依存は恋のようだ

若者を中心に問題にもなっているスマホ依存。
ずっと携帯を触っている。家でくつろぐときは勿論、電車や寝る前、人によっては風呂でも触っている。
勉強や仕事もスマホのせいで疎かになるというひとも多いのではなかろうか。
「スマホ依存は怖い」「スマホ依存症を知ろう」「スマホ依存のやめ方」「スマホ依存で人生から失うもの」など、それに関する記事は無限に出てくる。
そして僕らはそれを目にし良くないと再認識する。そこでどうだろうか。
『はえ~スマホ依存良くないんやな。じゃあやめるか!』
となるわけはない。いや、もしかするとなる人もいるのかもしれないが長く続かない場合がほとんどだろう。
僕も先日スマホを持たず出かけた。健康的で素晴らしい日だった。だからずっと続けようと思うか?そんなわけはない。ずっと触っている。
スマホと触れ合う機会が少なくなれば、心が寂しくなる。触りたくなる。画面を見たくなる。
やることが一段落しスマホに触れると幸福を感じる。
....おや?これは恋ではないか?僕はそう思った。
今やスマホは生活必需品である。家族や仕事先との連絡手段としてなど、スマホを一切使わない生活に戻ること自体が意思に関係なく不可能な人も多いはずだ。
スマホは写真も撮れる。美味しそうな料理や綺麗な景色などを撮る。盛る。載せる。幸せだ。つまりスマホと共に幸せな日々を過ごしているのだ。
これは、恋や愛にも当てはまる行為だ。
恋していればその相手が、は愛し合っていればお互いのことが必要不可欠だろう。都合が許す限り共に幸せな時間を過ごしたいと願うだろう。
そう、つまりスマホ依存と恋は一緒なのだ。
仮にスマホ依存脱却により絶大な利益を授けられるとしよう。仮にそうだとしてもスマホを触らないという道へ進みたいと思うだろうか?
そんなはずはない。健康や時間、人生を犠牲にしてでもその機械が詰まった板を触りたいと思う。
好きな時間にSNSなどに浸り、ネットサーフィンも無限にできる。意思がなくても体が自動的にそれをする。そんな怠惰な生活に甘えるというのも幸せに違いない。
これも恋する人と一緒だ。
そうだな、別れられないカップルといったところだろうか。
交際相手によって自分が害を被っている。例えば仕事をしてくれないだとか、酒やギャンブルに溺れているというようにだ。
冷めてきた。じゃあ別れようか。いや、それはちょっと難しい。なんでかって?いや、自分にもわからない。
友達に相談したりもしてみる。その時は別れようと思う。だが結局別れ話をするには至らない。
仮に別れてもまた復縁する。いくら自分が苦労しようが、その交際相手と一緒に居たい。と。
これのどこがスマホ依存と違うと言えようか。
このような例により、スマホ依存は恋であると言える。また、スマホ依存から離れようと思うのはドロドロの”終わった”恋愛をしているということだ。
そんな風になるのなら、大人しく抵抗せずにスマホに溺れているのが幸せなのではないか、と思わなくもない。
人間は恋愛をやめられるだろうか?ほとんどの人にとってはやめられないはずだ。生物学的にそうである。
そう、つまり、恋愛をやめられないのと同様にスマホ依存脱却も不可能なのである。
そんな気苦労を負うくらいなら楽な道を人は選ぶ。
マジレスするとどちらも単なる依存症として現れる症状なので、支障が出ない程度にしましょうね^^